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フルマラソンへの道最終回 [フルマラソンへの道]



初出場で北海道マラソンの最終関門、
40キロを通過した私はとてもいい気分になっていた。


今さらながら「ランナーズハイ」というものを体感した気がした。
天候は小雨混じりで気温は17~18℃位だろうか。


マラソンのための天候としては最高と言って良いかもしれない。





そんな中、人通りの多い南一条通りを走っているうちに

「ここまで来たら4時間を切りたい」

と思うようになっていた。



40キロの関門を通過した時点で
規定上、後は歩いても「完走扱い」となる。

しかし、このままのペースでは
4時間を切るのは難しそうだったので
ちょっとだけペースを上げてみた。



「あれ?結構行けるな」



私は自分の体が今までにないくらい
良い状態なのが不思議だった。

過去3度のフルマラソンはすぺて4時間オーバー。
しかも1ヶ月前のオホーツクマラソンは4時間33分。



そんなランナーが

真夏の北海道マラソンで4時間を切ろうとしている。


自分自身が一番信じられなかったが、
1ヶ月ほど前から始めたLSDトレーニングと
新たに購入したシューズとインソールのおかげだろう。

今までのフルマラソンでは30キロ以降は
ほとんど歩いていたのだから言うまでもない。






南一条通から駅前通を曲がった頃、
たぶん私のペースはこの日最高に達していた。

キロ5分を切るどころか、
4分10~20秒くらいのペースで
パラパラと歩いているランナーをぐいぐい抜き去り
ゴール地点である中島公園へと入った。


中島公園内に入ると沿道の応援は
最高潮に盛り上がっていた。

そんな声に押されるように
ゴール目前の私は歯を食いしばって走っていた。




そして私はゴールラインを通過した。




タイムはなんと3時間53分台




前回のフルマラソンから40分もタイムを縮め
私は感動で目がウルウルしていたが、
走り終わると急に寒くなった。


真夏の夕方に小雨交じりの天気なのだから無理もない。





しかし、荷物を受け取って着替えようと思ったが、
ついさっきまで全力で走っていた私の足は
完全に棒のようになっていた。


着替えが出来ないほど足がパンパンになっていたので、
これはヤバイと思い配っていた氷を
足のアチコチに当ててアイシングに努めた。


そんなことしか出来ない状態だった。





するとたまたまとなりに居たおじさんが
「何回目ですか?」と話しかけてきて、
「初めてなんです」とか「次の大会はどこですか?」
などとマラソン談義をしばらくしていた。


やはりスポーツ選手というのは爽やかだ。
全く知らない人とでも達成感を共有できるというのは
とても嬉しいことでもあった。







そんな私も遂にフルマラソンで
4時間を切ることが出来ました。


この完走要因の3割は練習、

7割はシューズのおかげと今でも思っている。


もちろん忘れてはならないのは
インソールを作っていただいたアスリートクラブの存在である。






実は以前にも登場したY氏は全く同じ日に
北海道の道北で行なわれていた国内最長距離の
「オロロンライン国際トライアスロン」を完走していた。


「そんな恐ろしい人が居るんだ」


と感心していたが、まさか一年後に
自分がその大会に出ることになるとは…







(完)


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フルマラソンへの道49 [フルマラソンへの道]



25キロを通過した途端急に足に疲労がやってきた。
実はこの辺りから10キロくらいの記憶がほとんど無い。


唯一憶えているのが、たぶん35キロの関門だと思うが



「関門閉鎖まであと7分です」



というマイクの声だった。








恐らく創成川通りを南に下り
南郷通りを白石方面に向かっていたはずである。


気が付くと私は38キロ付近を走っていた。


しかも最後の関門「40キロの関門」
の閉鎖時間が間近に迫っていた。


40キロ走ってきても、ここを3時間45分以内で
通過しないと参加した記録さえも残らない。

しかし、その関門さえクリアすれば
どんなに遅いペースでもゴールまで走らせてもらえる。

まさに天国と地獄と言ってもいいだろう。





私は思わず周りで歩いているランナーに自ら声をかけ



「40キロをクリアすれば

   あとは歩いてもいいんだから」



と自分をさておいて他人のランナーを励ましていた。
たぶんこれは自分に対して言ったつもりなのだろう。









そんな気合いのおかげもあり、
何とか40キロの関門を3分前くらいで通過した。



「やった~!後は歩いてもいいんだ」



北海道マラソンを完走できると言う喜びで
軽くウルッときたものの、沿道には沢山の市民が応援している。


その時の私には格好を付けてラストスパートをかける気力も
南一条通をゆうゆうと歩ける勇気も無かった。






その時の私に出来ることは



「最後まで歩かずに完走すること」



それだけだった。





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フルマラソンへの道48 [フルマラソンへの道]



猛ダッシュで5キロの関門を通過した私は
徐々に本来のペースを取り戻し
やっと札幌市内の景色を見ながら走れる状態になった。


駅前通りをゆうゆうと走り
三越前でしっかりと給水をとり右折して
創成川通りを少し走り北24条通りへと走り抜けた。


この時点ではまだキロ5分ペースを維持していたので

「ひょっとして4時間を切るどころか3時間40分も…」

と思っていた頃、対向車線に一際凄まじい歓声が聞こえた。





「おっ!千葉ちゃんだ」





私は同じコースを走るランナーでありながら
千葉真子の走りに見とれていた。


その興奮も冷め切らない頃、
私は20キロの関門を通過した。


タイムは1時間40分前後。




「これはマジで行けるかも」




完全なキロ5分ペースを維持していた私は
ちょっといい気になっていたのかもしれない。


足の疲労はそれなりに来ていたのだろうが、
沿道には切れ目なく応援の市民がズラリと並んでいる。


その声援はまさに力を与えるというか


「絶対に歩けない」雰囲気をかもし出していた。






そして新川通を折り返してきた25キロ前後では
持参していたアミノエナジーをしっかり口に含み給水も摂った。


しかしこの付近は周りに何もなく、風がモロに当たる場所だ。
この辺から疲労感が「ガクン」とやってきたようだった。


今まで走ってきた通りを戻る頃
その対向車線では関門で止められたランナー達が
次々とバスに乗る姿が見えた。




今までの自分だったらすでにバスに乗っていたかもしれない。


「でも今の自分は違う!」


そう心に誓いゴールを目指した。




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フルマラソンへの道47 [フルマラソンへの道]


スタートラインからまだ300mほどしか進んでないのに
すでに5キロ地点での関門タイムの
心配をしなければならないなんて…



「恐るべし北海道マラソン」



そんな泣き言を言っている間にも
関門タイムは刻々と迫ってきている。






何とか公園内から一般道に出た瞬間、
ほとんどのランナーが全力に近い速度でダッシュし始めた。

まだ1キロ地点にも達していないというのに。


そうです。
予想した通り残りの時間と距離を考えると
とにかくダッシュしなければ5キロの関門に引っ掛ってしまう。


特に最後尾からスタートした私は
相当不利な立場であることは間違いない。

周りの人たち同様、私はこの時点で「ハァハァハァ」という
10キロレース並みの心拍数で5キロ地点を目指した。





周りの景色など全く見えないほど我々はダッシュしていた。
そしてやっと5キロ地点の看板を通り過ぎたようだった。


「やっとこのダッシュから開放される…」


5キロ地点を過ぎると周りも急にペースが落ちた。

さっきまでキロ4分ちょっとくらいのペースで走ってたのに
いきなりキロ5分くらいまで落ちた。




これからはとりあえずキロ5分ペースで
行けるところまで行こう!



そう考えながら本当の意味での北海道マラソンは
5キロ地点から始まった。



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フルマラソンへの道46 [フルマラソンへの道]



初めての大規模なマラソン大会、


「2004北海道マラソン」


とにかく私にとって不安だらけだった。






まずスタート地点とゴール地点が違うし
ゴール地点はすすきの近くのため車では行けない。


荷物を預けてからスタート時間まで
けっこう時間があるためトイレが大変。


スタートしてからスタートラインに付くまで
いったい何分かかるのか。


最初の5キロの関門が27分だが大丈夫なのか。






こんないくつかの不安を抱えたまま、
私は荷物を輸送トラックに積み
寒空の中スタートラインに付くまでの長い列に加わった。


当日は小雨が霧雨上に降っていた。
ランパンランシャツで待つにはツライ天気だ。
しかしその長蛇の列は徐々に競技場の中に吸い込まれていった。




いよいよ競技場の中に入ったが
4000番台のゼッケンを付けた私の位置は
ほとんど最後尾になってしまった。


「もうこうなったら一番後ろからスタートしてやる」


と開き直りスタートの号砲を待った。






「用意、パンッ!」





北海道知事が鳴らすピストルの音と同時に
先頭集団はダッシュしていた。


しかし私の居る最後尾は全くビクともしない。
さすがに4000人もトラックの中に詰め込めば
後の方などいつ動き出すのか分かったものじゃない。





号砲から30秒くらい経って我々の居る位置も少し動き出した。
しかし前がなかなか進まないのでひたすら歩くしかない。


ゆっくり歩き続けて
スタートラインに辿り着いたのは号砲から1分半くらい。
思ったより早かったがノロノロ運転はこれからだった。





やっと競技場を出たもののそこからがまた大変だった。
競技場の外は公園内の細い曲がった道をくねくねと通るため
今度は完全にストップしてしまった。


しかもこのノロノロ運転状態にいらだちを隠せない
北海道のランナー達は殺気立っていた。


前につまずいて倒れている人も居た。
よく解らないが怒っている人も居た。





「これが北海道マラソンのスタートか…」






その思いのほか前に進まない状態から
私はあることに気が付いた。







「このままじゃ5キロの関門に間に合わない」






そう、
スタートから300mあまりで5分以上も経過しているのだ。


最初の関門である「5キロ27分」をクリアするためには
キロ4分くらいのダッシュをしないとリタイア扱いとなってしまう。


しかしその時は前の方が進んでくれることを祈るだけだった。




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フルマラソンへの道45 [フルマラソンへの道]



足の爪がはがれ練習を再開してからは
以前のようなスピード練習は出来なくなった。


初めての北海道マラソンを控えて
私自身焦っていたが後から振り返るとこれが良かった。





なんと自分では意識しないままに
LSDをやっていたのだから素晴らしい。


事実、この年の洞爺湖マラソンまでの1か月間の練習は
計118キロで、平均ペースは1キロあたり5分09秒。


それに対して、北海道マラソンまでの1か月間の練習は
計210キロで、平均ペースは1キロあたり5分52秒。





距離が増えたのもあるが、
確実に練習のペースが遅くなっている。





そんな練習で私自身は不満だったが、
とにかく距離はそれなりに踏んだつもりだったので
完走できるかもしれない…と気持ちは少し強くなっていた。


今まで3度出場したフルマラソンは
いずれも4時間オーバーなのに北海道マラソンの
スタートラインに立ってしまった私は緊張で一杯だった。


しかもこの大会は途中での補給(バナナなどの固形物)が
一切無いためスタミナ切れをしないような対策が必要だった。





当日のスタート前は
少しおなかが重いかもと思うくらいおにぎりやもちを食べた。

更にはアミノ酸系サプリ
「アミノエナジー 」を3袋パンツのポケットに忍ばせた。





そして遂に初めての大舞台。


「北海道マラソン」のスタートを待った。


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フルマラソンへの道44 [フルマラソンへの道]



足の爪がはがれ結果的に
LSDを取り入れた私にとって
更に良い条件が整いつつあった。


前回のオホーツクマラソンから
間もないうちに迫った「北海道マラソン」に向けて
いいアイテムを手にすることになった。





以前にも登場したマラソン仲間のY氏
からの薦めで遂に私も本格的なシューズを
購入することになりそのお店に行ってみた。


そこはまさにアスリートが集まる
ランニングシューズの専門店





札幌にある


「アスリートクラブ 」


というシューズ専門店であった。







Y氏からは

「インソール(中敷き)も一緒に作ったほうが絶対いいですよ!」

と言われてはいたが、
そうなると2足分のシューズを買う値段になってしまう。


何とか安く済ませたいと思っていた私も
店員に勧められるうちに今のシューズが合っていないから
爪がはがれたということが解り、
私の足にもピッタリのアシックススカイセンサーを購入することにした。






その後はインソールを作るかどうか悩んだ。
店員さんはインソールの効果を詳しく説明してくれたので
納得した形でインソールも一緒に作ることにした。


しかし、インソールを作るには2週間位かかるとのことで
出来上がりは北海道マラソンの1週間前。


でも自分の足にピッタリ合わせて作るのだから
レースの直前で履いても問題はないはず…と店員さんは言う。






そんなわけで北海道マラソンの直前に
私専用のスカイセンサーとインソールは出来上がった。


結局レース前ということもあって
そのシューズでの練習は2回のみ。
それも5キロと8キロの流し程度。





そして私は初めての北海道マラソンに向かった。




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フルマラソンへの道43 [フルマラソンへの道]



「オホーツクマラソン」を自己最低レベルの記録で完走し
更に悪いことに足の爪をつぶしてしまった。



前回の日記で

「この大会が転機になった」と書いたが、

実はこのケガがそのきっかけとなったのである。




大会の翌日、
私はすぐに近くの病院に行き爪の状態を診てもらったが、
医師は当時の私に信じられないことを言った。




「あ~そんなの放っておけば治るよ」




「えっ?爪がはがれそうなんですけど」




という私にその医師はそんなことくらいで病院に来ないでよ
くらいの顔をして絆創膏でも貼っておきな!と言い放った。


私は足の爪がはがれるなんて初めての体験だったので
「大変なことだ!」と思い病院に行ったのに


それからしばらくは練習どころか普通に歩くことさえ大変だった。





つぶれた足の爪は2、3日後には
遂にはがれて私の足の爪は一枚亡くなった。





約2週間後、「早く練習をしなければ」
との思いで早速練習を再開したが、
以前のように思い切った練習は出来ない。


今までキロ5分を切るペースで走っていた練習を
このケガを機にキロ6~7分のペースにした。


遅い練習になった分量を増やそうとして
練習距離も20キロ前後になった。





結果的に…





今考えるとこれが初めてのLSDだったのかもしれない。


ちなみにLSD(Long Slow Distance)とは

「長い距離をゆっくり走る練習」という意味で

低負荷の有酸素運動をすることによってスタミナをつける練習である。





前回のオホーツクマラソンから
5週後に迫った「北海道マラソン」に向けて最良のスタートを切っていた。





自分では意識しないままに…


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フルマラソンへの道42 [フルマラソンへの道]


懲りもせず、どんどんフルマラソンに出場する私は
何の学習もないまま再びスタートしていた。

それまではとにかく自分を追い込む練習をして大会に望み、
ハーフまではよかったがフルマラソンになると途端に
後半で歩いてしまう…という悪循環に陥っていた。





その最たる例がこの大会であった。





私はいつものように前半をキロ5分ペースで走っていた。


オホーツク海を左にしながら
ほぼ海を見ながら走るこのコースをとても気に入っていた。




20キロまでは…




そして25キロくらいから私の足は悲鳴を上げ始めた。
というよりはスタミナが足りなかったのだろう。


常にキロ5分以内のペースで10キロ前後の練習を
していた私にとってフルマラソンは脅威の世界。




30キロ地点では湧別町民の声援も虚しく完全に歩いてしまい、
ゴールで名前をコールされることさえ恥ずかしいほどだった。



そして私のオホーツクマラソンは
目標であった4時間を大幅に超えて終わった。



記録は4時間33分



完走した288名の内254位という情けない数字だった。
この世から消してしまいたいデータの一つである。




ゴール後にやっていた抽選会も
あまりよく憶えていないほど心身ともに疲れていた。


そして


気が付くと足の爪が異常に痛かった…



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フルマラソンへの道41 [フルマラソンへの道]



前回の日記で書いたとおり、
風邪で38度の熱を押して出場したハーフマラソンを
何とかクリアしたもののその代償は大きかった。


大会後は体の節々がとてつもない痛みに襲われ
仕事もままならない状態で何とか生き延びるだけだった。






それから1週間が経ち体調が戻り
1ヵ月後のオホーツクマラソンに備えて
いきなりフルスロットルで練習を再開した。


今では考えられないが
ほぼキロ4分~5分ペースでの練習を続け
風邪で休んだ体を取り戻そうと必死だった。






そんなオーバーペースの練習を重ねて迎えた

「第20回オホーツクマラソン」

後で解ったことだがその時の大会が最後の大会であったという。








コースは紋別町をスタートして
サロマのスタート地でもある湧別町の三里浜がゴールという
極めてサロマウルトラを意識した大会であった。


そして男子優勝者には東京~紋別の往復ペア航空券を始め
抽選会では地元のお土産などがわんさかと用意されていた。




しかもこの大会、
地方大会にしては珍しく種目が3種目もあり
フルマラソン、20km、10kmとなっていた。

更にはワンウェイコースのためゴールから
スタート地への長い道のりを回収するバスまで運行していた。



「なんて親切な大会なんだ!」



と思ったらなんとこの大会はその年を最後に終了した。





その記念すべき「第20回オホーツクマラソン」のスタートラインに立った。



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