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トライアスロンへの道28 [トライアスロンへの道]

*これは市民ランナーがロングトライアスロンを完走するまでの回送日記です。




スイムの制限時間には間に合ったものの思わぬアクシデントで心拍数を上げてしまい、何とかバイクで少しでも挽回しようと気が焦っていたのかここでもアクシデントが発生した。

バイクのチェーンは付いていたし、バイク自体は押せば動くのにペダルは回らない。
もう何が何だか解らないままスタート出来ないかもと思い私は泣きそうになっていた。


そんな投げやりな状態で「もう、こんなバイク!」と思い投げつけようとした時、リアのホイールからガチャガチャという音が聞こえた。

もしかして、リアのホイールがちゃんとはまっていなかったのかも、と思いよく見るとなんとリアのホイールが少しずれたままになっていた。

大会前日にバイクを預ける際の検査はちゃんと通過していたので「なんで今さら」とは思ったが、車で移動する時はリアのホイールは外すのでよくあることではあった。


まずはリアのホイールをいったん外してちゃんと付け直してロックし、改めてちゃんと動くことを確認してから今度は落ち着いてバイクのスタートを切った。

スイム後の着替えで手間取り、バイクのスタートまでかなりの時間を費やしたが、「これから挽回してやる」という気持ちが更に強くなり増毛の港を後にした。




なんだかんだ言ってスイム後のトランジッションでは15分以上掛かっていたと思うが、そもそもウエットスーツを脱いでバイク競技に入る練習はしたことがなかった。

そう考えると、このロングレースで初めてそんな緊迫した練習が出来たのは貴重な体験と言えるだろう、と思うことにした。

そんな気持ちでいられるのも、大会直前くらいからバイクに対して少しずつ自信を持ち始めていたからかもしれない。もちろん、最後まで行けるかどうかというレベルだが。


実際、大会の1ヶ月前くらいからは毎週のように150キロ以上を練習して最長で183キロを走ったこともあったからサポートのある大会で200キロを走るのは不安ではあったが楽しみであるという気持ちも少なからずあった。

大会中であるにもかかわらず私は日本海を横目に、まるでサイクリングにでも来たような気持ちでバイクを走らせていた。




そんな気持ちで「これから200キロ走るんだぁ」と思うと長い道のりをどう過ごすか、そう思いながら走り出すとちょっとだけ左足がカシャカシャするのが少し気になり始めた。

今まで練習で何百キロも走っている時に気にならなかったことが、これから200キロも走るかと思うと小さなことが気になるようになっていた。

こうなるとそのままにしておけないのが私の悪いところ。


レース中で後ろから数えられるような位置にいるのに、私はバイクから降りて左のバイクシューズをはめるペダルの調整を始めてしまったのだ。

確かに以前からちょっと緩いかなぁとは思っていたが自分で調整するなんて考えもしなかったのでそのままにしていた。

ちなみにロードレース用のバイクはペダルとシューズがカチャッとはまるような形に設計されているので普通は少しの遊びがあるのが普通だ。

しかし私は、緩いよりはキツイ方が良いだろうという単純な発想で締め付けてしまい、その後のレースを左足に力の比重が偏ったまま残りの190キロ以上を走ることになった。

それがこのレースで完走できるかどうかを左右するだけではなく、その後数年の私のマラソン人生を左右することになることも知らずに…





次回に続く

トライアスロンへの道27 [トライアスロンへの道]

*これは市民ランナーがロングトライアスロンを完走するまでの回送日記です。




海で泳ぐ大会はこの時が初めてだったが、シャワーを浴びながらウエットスーツを脱ぐのはとてもスムーズで楽だった。

しかし、私の場合そのスムーズさが度を過ぎていたようだった。

なんとウェットスーツの下に来ていたバイク用のパンツまで脱いでしまったのだ。


ちなみに私のウエットスーツはワンピースタイプなので、上半身のチャックを降ろして肩から脱ぎ始めて腕を抜きそのまま下の方まで一気に降ろすと全て脱げるタイプ。

そしてバイク用のパンツは上半身にもサスペンダーのように肩に掛けるようなタイプだったのでウエットスーツを降ろした時にそのままパイク用のパンツも一緒に脱げてしまったのだ。

ちなみにバイク用のパンツは地肌にそのまま履くので、私がその時どんな状態だったのかはご想像におまかせします。


周りの様子が変だった私は自分の状態を見て一瞬パニックになったが、とりあえず何もなかったかのように腰まで戻してウエットスーツだけを降ろした。

目の前で応援していた人たちが指をさしてビックリしていたのは解ったが、それ以上何も考える余裕はなくとにかくその場から早く立ち去りたかった。

とは言えウエットスーツの足の部分がなかなか抜けなくて更に慌てたが、何とかウエットスーツだけをすべて脱ぎ去ることができてまずはホッとした。

こんなことで心拍数を上げてしまいその先どうなるかとても不安でたまらなかった。




ウエットスーツを脱ぐのに多少時間はかかったが、次の競技であるバイクに乗るため自分のバイクの場所を探しすべてのセッティングをしなくてはならない。

まずはさっき脱いだウエットスーツとゴーグルを用意していたごみ袋に入れて、バイク用のジャージを着てヘルメットをかぶりサングラスをかけた。

そしてバイク用のシューズを履いて荷物をしっかり縛り自分のバイクを動かした。


基本的にトライアスロンの着替えやセッティングをするトランジッションエリアでは、バイクは手で押して歩かなくてはならないのでまずは出口の方へ押して歩いた。

いよいよスイム競技を終えてバイクのスタートだ!と思いバイクにまたがったのだが、またも私はとんでもないミスを犯していた。

ペダルに足をかけて前に進もうとするとペダルがビクともしないまま、私はレース中なのにその場で立ちごけをしてしまった。


さっきまでウエットスーツの件で一汗かいたばかりで今度はバイクトラブルだ。
チェーンが外れたのかと思ったがチェーンはちゃんと付いていた。

他に何かトラブルがないか色々見てみたものの、あまりバイクを手入れしていなかった当時の私には何もトラブルを発見することはできず、ボランティアの人や審判員の人たちも「大丈夫か?」「どうしたんだ?」と色々声をかけてくる。

もうこうなると完全に冷静さを失い、私はバイクのスタートが出来ないと思い込みバイクを通路の端に動かして少しの間呆然と立ち尽くしていた。





次回に続く

トライアスロンへの道26 [トライアスロンへの道]

*これは市民ランナーがロングトライアスロンを完走するまでの回送日記です。





スイミングスクールでは3回手をかいて1回呼吸をする練習をしていたが、
実際に海で泳いでみるとそんなきれいな息継ぎなど出来ないことが判明した。

まず波があるのでプールのように鼻と口だけ出せば息を吸える状況ではなく
かなり大きく顔を回して完全に顔が出るくらいじゃないとまともな呼吸は出来ない。

そうなると、呼吸するにも利き手みたいなものがあり
私の場合右側でしか呼吸は出来なくなっていた。


したがって終始2回かいて1回呼吸をするの繰り返しで
スピードは出ないし泳ぐ方向も気がつくとあらぬ方向へ向いていた。

とはいえ、少しずつではあるが前に進んでいるのは確かで
最初の折り返しであるブイに近付いてきた。

プールでも曲がり方はちょっとだけ習ったが、
大会では90度以上に曲がらなくてはならないため
ここでかなりのスタミナをロスしたような気がする。


そんな折り返しを曲がった辺りでは初心者用の大会で
最下位争いをした女の子を見つけた。

彼女は私より少し水泳は速かったがこの大会の中では
ほぼ同じレベルになるので一瞬目が合うと「どうも!」と言って
その後はお互いマイペースでゴールを目指すだけだった。




そんな後半に入るとさすがに疲れが表れてきた。

それまでの練習で2000mを休まず泳いだのは3回だが、
いずれもプールでの練習だし自分で数えたので正確かどうかも分からない。

しかし、ウェットスーツの威力は有難かった。


トライアスロン用のウエットスーツは種類にもよるが
手足のゴムが厚く出来ているのでかなりの浮力はある。

浮力があるということは初心者の課題でもある
体を浮かせるための努力は必要なくなる。

ということは極端に言うと、ただ単に腕を回しているだけで
泳げてしまうとも言えるのでズルい気もするがこれはあくまで
安全上のために着用が義務付けられているのだ。

もちろん本当に泳ぎが速い人はウエットスーツが邪魔になる人もいるし、
大会によっては海でもウエットスーツを着てはいけない場合もある。


そんな魔法のウエットスーツに守られながら泳ぎ続け
やっとスイムのゴールが見えてきた。

沖の方と比べると水温が変わってきたのが解り、
再びクラゲの大群をかき分けながらゴールに向かった。




スイムのゴールでは実は立ち上がるタイミングが難しかったりする。

周りの選手を見ると立ち上がっているので
もう立てるのかなと泳ぎをやめるとまだ足が着かない場所だったり
普通に泳いでいると水深が50㎝くらいのところだったりする。

更に「やっと着いた」と思って足を着くと急に体が重く感じてしまう。

今までウエットスーツの浮力を感じてフワフワ泳いでいたので
宇宙から帰ってきたような重力を感じてしまう。
もちろん宇宙に行ったことはありませんが…


スイムからバイク、バイクからマラソンに移る途中のエリアを
トライアスロンでは「トランジションエリア」と呼んでいる。

この場所で着替えをしたり用具の片付け・セッティングを行い、
その間もタイムは引き続き経過しているので早く次の競技に移る必要がある。


海から上がってきた私はそのままシャワーがある場所まで
重く感じる体で軽くジョギングしながらたどり着いた。

そしてウエットスーツを脱ぎ始めた時、
私はそこで信じられないことをやってしまったのだ。

トライアスロンへの道25 [トライアスロンへの道]


スタート前のセッティングとイメージトレーニングを終えると
後はスタートの号砲を待つだけだ。

30分前にはスタート場所の海を前にセレモニーがあるのだが、
真夏とはいえ早朝6時30分の海は涼しくトイレに行きたくなる。

寒さか緊張かよく解らない震えが私の体にも迫り、
セレモニーの間にもトイレに行き最終準備に入った。



トライアスロンのスイムスタートは基本的に水泳が早い順に
前から後ろへと連なるので当然ながら私は列の一番後ろにいた。

すると一緒に練習した先輩達やトライアスロンの初心者大会に出場した
メンバーが「頑張ろう!」とか「マイペースで」などと気遣って声を掛けてくれた。

もちろん、スイムではビリになる覚悟はしていたが、
この期に及んで制限時間に間に合うかどうかの心配もあった。

海水浴場以外の場所を泳ぐのは初めてだったし、
クラゲは水面から見えるくらいだったのでこれから何が起きるのか、
はたして最後まで泳ぐことが出来るのか、心配でたまらなかった。



セレモニーのマイクは先ほどの盛り上げから一転してカウントダウンに変わった。

心臓がドキドキして飛び出しそうなのを隠すように、
私は目を閉じてカウントを耳を凝らして聞いていた。

「3、2、1、スタート!」

いよいよ私にとって始めての本格的なトライアスロン大会が始まった。
これから14時間後の制限時間を目指して私はゆっくり前に歩き出し、
冷たくクラゲが沢山待つ海の中へ歩を進めた。

海に向って歩き出すと一番後ろだと思っていた
私の後ろにもまだ沢山に人がいた。

水泳が得意じゃない人は私と同じようにとにかく邪魔にならないように
一番後ろからスタートすることがせめてものマナーだと言いたげだった。



海に入ると足が着く場所でもすぐに泳ぐ態勢になり
腕を動かしゆっくりと水に浮かび前に進んだ。

そして、少し進むと回りの選手達の手や足がバンバン当たってくる。

いや、当たるというよりは殴られたり、蹴られたりしている
と言った方が近いほど頭や手の動きをさえぎられいきなりゴーグルが外れた。

まだ足が着くところなのにゴーグルがずれただけで私はパニックになり
溺れたかのように手足をバタバタさせ焦ってゴーグルを直した。

しかしトライアスロンの用のウエットスーツはかなり厚く作られており
実際は何もしなくても海には浮くのだ。

だから、そんな無駄な力を使わなくてもゆっくりとゴーグルを直せるのに
パニック状態だった私はスタート直後から不安なまま泳ぐ事になった。



この日のコースは増毛の港を出て200mほど先の防波堤を越えてから
約1600mを泳ぐ2000mのコースなので周回などはない。

とにかくまっすぐ泳いでそのまま戻ってくるだけなのである程度泳げば
我々クラスの選手同士がぶつかるようなことはない。

後は目印のブイを目指してゆっくりゆっくりマイペースで泳ぐだけだが、
やはり大量のクラゲは気になってしょうがない。

沢山のクラゲを手でかき分けて泳ぐことになるので
はっきり言って注意のしようがないというのが現状だ。



そんな私もマイペースで泳いでいるうちに呼吸や手のかきも安定してきた。
やはりトライアスロン用のウエットスーツはかなり浮力があるので楽に泳げる。

これなら何とか制限時間に間に合いそうだな、と思った折り返し付近で
私の右側を平泳ぎでスイスイ抜いていく選手がいた。

「ちょっと、嘘でしょ!」と私は目を疑ったが平泳ぎの選手は
クロールで泳いでいる私を確実に抜いていった。

平泳ぎの選手が早すぎるのか、クロールの私が遅すぎるのか、
そんなことを考えるほど私自身泳ぎに余裕が出てきたのか。




トライアスロンへの道24 [トライアスロンへの道]


大会当日の朝は意外にしっかり目が覚めた。

いつもならゆっくり寝ている日曜日なのだが、
6時30分スタートでトランジットのセッティングもあるので
早めに会場に行くことになった。

先輩達と超簡単な身支度を済ませ大事なトイレもしっかり済ませた。


会場にはすでに沢山のトライアスリートが集まっていたが、
それを見た途端私は何とも言えない緊張感に襲われすぐにトイレに走った。

トライアスロンのスタート前にやる事は決まっている。

全てのグッズが揃っていることの確認と
使いやすい様にセッティングすることだ。




まずスタート時にはスイム用のウエットスーツを着ているので
ウエットを脱ぐところから本当のトライアスロンが始まると言える。

ここからはイメージトレーニングが必要となる。


ウエットスーツといっても色んなタイプがあるので
人により脱ぎ方やポイントも変わってくる。

そでの無いタイプやチャックが後ろのタイプ
ワンピースタイプからツーピースタイプまで大小の違い、
重さ固さの違いなど色々なのでそれぞれコツも違う。

私が着ていたのはシロモト製のフルオーダー、
首からそでから足首まで完全に覆われたタイプなので
水面には浮きやすいが脱ぎ着をするのに時間はかかる。


ちなみに私が先輩から聞いたのは、
海を泳いで陸に上がりながらチャックを外して
そでを脱ぎながら走りバイクの前で下を一気に脱ぐ。

当時のオロロン大会ではシャワーが用意されていたので
シャワーを浴びながら上から下まで脱ぐことが出来る。

だからシャワーで全部脱いだウエットを持ちながら
バイクの前に行ってバイク用のジャージを着る。


この時の私はバイク用のパンツをウエットの下に着て
泳ぐつもりだったのでバイクの前に来るとゼッケンが付いた
バイク用ジャージを着ることにした。

今ではゼッケンベルトにゼッケンを付けて腰に巻くだけだが、
当時の私はゼッケンベルトの存在を知らなかった。

話が長くなったが、バイクのセッティング時には
バイク本体の周りにヘルメット・シューズ・サングラス、
そして上から着るバイク用ジャージをバイクの上に載せた。


ランのスタート地は全く違う場所なので、
ラン用のシューズ・ソックス・パンツ・ランシャツ・帽子を
大会が用意した専用の袋に入れて搬送トラックに預けた。




ここまでしっかりセッティングしたのを確認し、
更に一つ一つ脱いだり着たりするイメージを繰り返して
指差し確認で何度も確認した。

これらのひとつでも欠けているだけで
レースをリタイアしなくてはならないこともあるのだから
確認は何度も慎重に繰り返して後はスタートを待った。



トライアスロンへの道23 [トライアスロンへの道]

※これは一般の市民ランナーがロングトライアスロンを完走するまでの物語です。






大会に出場するための書類は揃えたが、やはり
ロングトライアスロンは今まで出場した大会とは違うことばかりだった。

先輩方から聞く話は驚くというよりは「本当かなぁ」
と疑うことも多く、大会前の準備はかなりバタバタした。


そもそも海で泳ぐ大会は初めてだったので、
ウェットスーツを脱ぐトランジット(着替え)も初めてになる。

しかもバイクで200km走るのも初めてになるので、
その間の補給や給水もかなり不安だった。

とりあえずバイクの給水はボトルごと交換するので、
自分の給水ボトルは要らないということは解った。

とはいえ、先輩達はバイクから降りずに
全ての補給をすると言っていたが本当なのだろうか。


実際のところ私がビリになることはあっても、先頭になることは
一瞬たりともないので周りの選手を見ながら真似するしかないだろう。

そもそも今までに経験のない距離に挑戦するんだから、
完走出来るかどうかも半々の状態だ。

だからまずは大会までに風邪など体調を崩さないことを第一に考えよう。
そう思って大会一週間前からほとんど練習はしないで体調管理に努めていた。









そして大会前日、私はオロロンライントライアスロン国際大会の
スタート地、北海道増毛町へ向かった。

受付は2日前の金曜日から行われていたが、私は土曜日に受付をした。


私が行った時はすでに水泳の公式練習時間が迫っていたので、
書面の受付だけを済ませてその後はウェットスーツに着替えて泳いだ。

水は多少冷たかったが思った程ではない。

しかし、練習で泳いでいるすぐ下には大量のクラゲがいたので、
クラゲを掻き分けながらのスイム練習だった。

全てが初めてのことだったのでので私は恐る恐る泳いだが、
先輩達は平然と泳いでいたのが少し怖かった。


その後はバイクのチェックを受けてバイクは受付に預けた。

さらに競技説明会を受けたが専門用語が多く、
声も小さかったので正直言って良く解らなかった。


ただ、ドラフティングは何度も禁止だと言っていたので
そのことは先輩達に聞いたがそれでもよく解らない。

してはいけないことというのは解るが、
ドラフティングをすると有利になるという原理が理解できなかった。

追い越す時以外は後ろにぴったり付いてはいけないらしいが
それはそれで難しいことだなぁと思っていた。


前泊の宿では夕食後に荷物の再確認をして
ささやかながらチーム全員の完走を目指して軽く祝杯を上げた。

私はどうなるか解らなかったのでアルコールは控えたが
先輩達は余裕で飲んでいたのが凄いと思いつつ床に就いた。


不安だらけで眠れないかと思いきや、
意外とあっさり寝込んだ私でした。





トライアスロンへの道22 [トライアスロンへの道]




ショートタイプ(51.5km)と違いロングトライアスロンに出場するには、
参加資格や提出を義務付けられる書類などがある。

それはショートタイプを完走したことがあるとか、
水泳で何キロ泳いだ証明書とかだったりするし
参加者が多い場合は過去の大会成績などで選考される。

当時のオロロントライアスロンでは
病院の健康診断書と負荷心電図が必要とのことだった。


健康診断はいいにしても「負荷心電図」
というのは初めて耳にする言葉だった。

近くの診療所やクリニックに聞いても
やっている所はなかったので、大会事務局に聞いてみた。

すると、大会に出場する医師がやっているクリニックがあるから
そこで受けるといいと聞き、連絡して行ってみた。




私は一通りの健康診断を受け負荷心電図もとってもらった。
負荷心電図とは文字通り心臓に一定の負荷を掛けた後に
心電図をとる検査で、どれだけ酸素を摂取する力があるのか計るらしい。

私の場合はエアロバイクをある程度の力で
漕ぎつづけてから心電図をとった。


その後の医師の診察では「素晴らしい心臓だ!」
という解りにくい褒め言葉をいただき、
トライアスリートでもある医師から太鼓判を押された。

さすがに毎週のように早朝から夕方まで鉄人達と練習していれば、
知らないうちにアスリートと呼べる心臓になれるんだと妙に感心した。





実は今まで参加したトライアスロン大会は
プールを使用していたので、海での大会は初めてとなる。

しかもその時点ではショートタイプの大会にも出たことが無いのに、
いきなり本格的な大会がロングトライアスロンになるのだ。

マラソンで言えば10キロを完走して
すぐに100キロのウルトラマラソンを走るようなものだ。



今考えると恐ろしく無謀な挑戦だったのかもしれないが、
当時の北海道では海で開催されるトライアスロン大会は
このオロロンライントライアスロン国際大会しかなかった。

わざわざ飛行機に乗って他県の大会に出る予算も暇も私にはなかった。

だから結局のところ、当時の私には244kmのトライアスロン大会に
出るしか選択肢がなかったのかもしれない。




次回に続く


トライアスロンへの道21 [トライアスロンへの道]



海水浴場でのスイム練習はとにかく慣れるしかない。

それからは仲間との練習会の他に自分1人で早朝練習をやった。


スピードが遅いのは最初から解っていたので、
あとは極力真っ直ぐ泳げるようになるしかない。

海で泳ぐ時は2回に1回片方だけで息継ぎをしていたので、
その途中に前側で息継ぎする動作を織り交ぜていきたい。


しかし、現実はそう上手く行かない。

何度練習しても前側で息継ぎをするなんて出来なかった。


いずれにしてもスイムは遅いのである程度の距離を泳いだら
立ち泳ぎで方向を確認するしかない、という結論になった。




そんな海でのスイム練習をしながらも
当然ながらバイクの練習も並行しての練習が増えた。

それまでは、大会距離の200kmに近い160kmとか
180kmくらいのバイク練習が多かった。

スピードも平均22km/hくらいのゆったりペースで
マラソンのLSDみたいなバイク練習が多かったが、
大会1ヶ月くらいになると内容が変わってきた。


海でのスイム練習の後、そのままバイク練習をする山の方に移動して
スピードも平均で25~30km/hの追い込み練習が増えた。

長い距離の練習の時も吐きそうになったが、
スピード重視の追い込み練習も吐きそうだった。

でも当時の私はとにかく先輩達に付いて行くしかなかった。

どんな練習をすればロングトライアスロンを完走できるのか、
全く想像も付かなかったので毎週先輩の言うとおりの練習をした。




大会が近くなりスイムやバイクの練習ばかりしていて
ランの練習はかなり少なくなっていた。

他の練習でかなり疲労してしまうと、さすがに
ジョギングまでする余裕がなかったと言うのが本音だ。

しかしその年の春はハーフやフルマラソンだけではなく、
ウルトラマラソンも完走していたので多少練習量が減っても
何とかなる自信があったのも事実だ。


そんな状態のまま遂にオロロンライン国際トライアスロンは
開幕の時を迎えようとしていた。



トライアスロンへの道20 [トライアスロンへの道]


海水浴場で初めてウェットスーツを着て泳ぎ、
フォームは崩れたが楽に泳げることが解った。

そうなると、更にスムーズに泳げるようになりたいし
長い時間泳ぎ続けるスタミナも必要になる。

オロロントライアスロンを1ヶ月前にして、
それからの練習は更に過酷さを増していた。


それからはプールに行ってもスクールはそこそこにして、
とにかく大会で泳ぐ2000mの練習ばかりしていた。

最初は68分掛かったものの、
その後は59分・53分と徐々にタイムを縮めて
70分の制限時間内に泳げる自信も付いた。

正直言って水泳の技術としてはまだまだの時期だったが、
疲れないで長い時間泳ぎ続けることが最優先だったため
練習することで疲れない泳ぎ方を自分なりにマスターした。





そうなると今度は海での本格的な練習に入った。

同じオロロントライアスロンに出る仲間達と
合同のスイム練習会に何度も出た。


海水浴場でのスイム練習はいつも早朝だった。

黒いウェットスーツを着た軍団が海水浴場を
黙々と泳ぐ姿はまさに異様だ。

その後の練習スケジュールもあるのだろうが、
その異様な光景を見られないためにも早朝だったのだろうか。

ただ、その頃は早朝練習にも慣れていたし、
現実問題としてそうでもしないとロングトライアスロンに
出場するには練習時間が足りなかった。



やはりプールで泳ぐのと海で泳ぐのは全く違う。

まず足が着かないという心理的な恐怖心と
波があって呼吸がきれいに出来ないという技術的な問題だ。

プールでの練習はもちろん必要だが、
実際に波のある海で泳ぐ練習も相当必要だなぁ、
とその時は感じた。


でも、海で泳ぐ時のメリットも当然ある。

塩分濃度が高いこともあるが、
ウェットスーツを着ているので体が沈まない。

体が沈まないということは浮力が増すので
水泳が下手な私がプールでやっていたような
「沈まないための余計な力」は必要なくなる。

だからプールで泳ぐ時のような苦しさは少なくなる。



とはいえ、海にはプールのようなラインはないので、
まっすぐ泳ぐための技術や感覚が必要だ。

実際、私が見るとかなり左右にクネクネ動き、
かなり余計な距離を泳いでいた。

これを解消するには、時々顔を前に上げて
目標になるものを目指して泳げるようにならなくてはならない。

これが難しかった。



トライアスロンへの道19 [トライアスロンへの道]






前回の市民トライアスロンでは、

スイムに関しては0点どころか-20点のだったが、

バイクは50点、ラン60点くらいの出来だと思う。



その頃はランの練習は置いといて、

バイクとスイムの練習に明け暮れていた。





スイミングスクールには週3~4回通い、

市民大会後ある程度息継ぎが出来るようになり、

遂に50mを完泳することが出来た。



しかもその翌日には100mを泳げるようになった。



スイミングスクールに通い始めて9回目、

息継ぎも出来なかった私が2週間で

3回もターンできるようになりかなりの自信になった。




それからはクロールの腕や足の動きを

徐々に修正していって精度を高めることにより

体全体の力が抜け息継ぎも楽になりつつあった。



その後数回のレッスンを経て

400m、800mを次々と泳ぎ

遂にはトライアスロンのショートタイプの距離

1500mを完泳することが出来た。






レッスンを重ねること18回、

3週間で遂にある程度泳げる自信がついた。



その後はもちろん目標であった2000mも

泳ぎきりプールでの練習は一区切り付いた。






しかし、ほとんどのトライアスロンの大会は

安全面からウェットスーツの着用が義務付けられる。



私も先輩から聞いた「shiromoto 」製の

ウェットスーツをオーダーした。



値段は多少張るが自分の体にピッタリ合った

フルオーダーだけにサイズも動きも問題なかった。




そして、実際の海での初練習は

チームのメンバーとの海水浴キャンプだった。



バーベキューで軽く腹を満たし、

水分を口にして恐る恐る初の海水練習を始めた。







やはり、プールで泳ぐのと海で泳ぐのは全く違う。





そもそも波があるので習ったばかりの息継ぎが

ほとんどまともに出来ない。



3回クロールして1回息継ぎするという

左右交互にするパターンが崩れ

2回クロールして1回息継ぎするという

片方のみの息継ぎパターンになってしまった。




まぁ3週間前までは、

全く息継ぎが出来なかったのだから仕方ない。



そんな中、30分ほどの海水練習は終了して、

後はメンバーと久々の飲み大会となった。





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